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いざ、四〇〇年前の武将の陣跡へ!!/菊一文字(3年)

 今から約400年もの昔、現在の岐阜県で“天下分け目の戦”がありました。1600年、石田三成率いる西軍と徳川家康率いる東軍が繰り広げた、関ヶ原の戦いです。みなさんも、教科書で一度は目にされたことがありますよね。
 関ヶ原という地名の由来は、関所のある原っぱだった、という一説があるそうです。また、日本三大関所の一つにも数えられる「不破の関」が置かれていたことや、「今須宿」「関ヶ原宿」の二つの宿場があったことからも、古くから交通の要衝だったことがうかがえます。現在の「関東」「関西」という呼び名も、“関”ケ原を境にしているとか。今回は、私が関ヶ原で行われたウォーキングイベントに参加したお話をしますね!

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 このウォーキングの正式名称は、「関ヶ原陣跡制覇ウォーキング」と言います。その名の通り、関ヶ原の戦いで各武将が布陣した跡地を順番に巡るものです。コースは、合戦コース(7㎞)、激闘コース(12㎞)、制覇コース(16㎞)の3種類があります。私は初挑戦だったので、初心者向けと言われていた合戦コースに参加し、15ヶ所の陣跡を周りました。関ヶ原は盆地なので、平坦な道が続いていますが、周りを山に囲まれており、時々山道もありました。所要時間は約3時間とのことでしたが、途中の山道や坂がきつく、3時間目一杯かかりました。現在はアスファルトが敷かれている部分も、当時は野原が広がっていて、ここに布陣して戦いの指揮を執っていたのかと、思いを馳せながら歩いていました。

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 無事にゴールでき、完歩賞として「やぎ乳アイス」をもらいました。関ヶ原の新名物だそうです。カップにも武将の家紋がデザインされています。

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 また、ウォーキングイベントとの同時開催で、火縄銃や狼煙の再現がありました。狼煙とは、物を焼くことで煙を上げ、その煙を合図などの情報として離れた位置から確認し、合戦に利用されていました。狼煙は、藁と杉の生葉を使っていたと言われています。藁を下にしてその上に杉の生葉を置き、さらに乾燥した狼の糞を置きます。狼の糞を置くと煙が散り散りになりにくく、狼の糞を使って煙を起こしたことから、のろしを「狼煙」と書くそうです。また、煙の色を変えることや狼煙を上げる時間帯によっても、伝える情報の内容を変えたり、種類を増やしたりしていました。

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 関ヶ原は、のどかで静かな町で、とても400年前に大きな戦いがあったとは想像できません。もし、歴史に興味を持たれている方がいらっしゃれば、ぜひ関ヶ原を訪れて、英雄たちの戦いやロマンを肌で感じてみませんか?

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